『仮面ライダー1号』の感想。

※この記事は映画内容のネタバレを含みます。



仮面ライダー1号、観てきました。

結論から言うと、大失敗作でした。

主演キャストを前面に押し出して大げさなプロモーションを打つ映画は大抵コケるという
自分の中でのジンクスみたいなものがあるのですが、今回もその典型例でした。
具体的にどこがまずかったのか、私が観たかった「ヒーロー」はどんなものだったのか、
思考整理をしていきたいと思います。

■これは『仮面ライダー1号』の映画ではなく、『藤岡弘、さん』の映画だった。

私は「仮面ライダー1号」が観たかったのであって、藤岡弘、さんを観に行ったんじゃない。
わかりやすく言うなら、「完全に中身が漏れていた状態」とでも言いましょうか。
命について問う場面、生命について語る場面、自然と生きると語る場面、
あのあたりは藤岡弘、さんの生(ナマ)の言葉だったと思います。
そういうことは情熱大陸か何かでやればいいことであって、「仮面ライダー」の映画に持ち込むことじゃあない。
現在放送中の仮面ライダーゴーストは、コンセプトとして「命をつなぐ」ということを掲げているので
仮面ライダーが命について云々言うこと自体は別にいいんです。
ただ、1号のコンセプトは、wikipediaから引用すると

「本作品の基本線は、等身大のヒーローと怪人が対決する「痛快SF怪奇アクションドラマ」である。」

「従来の実写ヒーロー物とは一線を画した「異形」のヒーロー像と、人間ドラマとしての側面を極力抑えた勧善懲悪劇、怪奇ドラマ的な演出、そして颯爽とオートバイを駆って「ライダーキック」などのダイナミックなアクションによる格闘シーンや、多彩な動植物をモチーフとした特異でグロテスクな怪人の登場が特徴」


と、こんな感じです。
つまり1号の時点では、人の命を繋ぐために戦っていたのでは決して無かった。
「悪は倒す」、それだけの話だった。

ただ、この点については好意的な解釈は出来ます。
長く戦い続けた結果として1号が見つけた「戦う意味」が「人の命を繋ぐこと」なら、それはそれで納得できなくはないです。
ただそれなら、そこへ至るまでのエピソードが欲しい。
無理に現行のライダーを出す必要も全く無かったと思います。
1号が辿ってきた道筋、そこで向き合ってきた葛藤、死を前にして見つけた答え。
私はそういうものが観たかった。

いちばんマズかったと思ったのは、エンドロールで撮影中の風景を流してしまったことだったと思います。
あれのせいで、「これは仮面ライダー1号の映画じゃなくて藤岡弘、さんのための映画だったんだ」が確信になってしまった。
ヒーロー映画で最後の最後で現実に引き戻す、これは最悪のパターンです。

■人間ドラマとしてもアクション映画としても中途半端

人間ドラマの部分については既に少し述べましたが、これも実に中途半端だった。
近年の仮面ライダーは人間ドラマを重視している傾向にありますが、それはそれで燃えるので大変結構だと思います。
仮面ライダードライブの最終回なんて、あそこで変身しなかったことで「子供番組」から「ドラマ」へとステージを上げました。
最高でした。

私が思うのは、昭和ライダーと平成ライダーが区別されてからの絡み方が
年々めんどくさい方向に行っているんではないかということ。
言葉は悪いですが、最近の映画での昭和ライダーたちの「老害」感がすごい。
今回の仮面ライダー1号の本郷猛がタケルに問答するところなんか、完全に老害のそれでした。

アクションシーンも、びっくりするほど少なかったです。
むしろ、敵同士が争っているシーンのほうが多かったくらいなんじゃないでしょうか。
CGが多様されるのに対しては私は別に否定的ではないのですが、
ワイヤーアクションはとても雑だったと思いました。
とにかくアクションの見せ場が無かった。演出が甘かった。もっと他に撮り方があったんじゃないかとさえ思えました。

■1号スーツの改変

これについてはもう単純に「好み」の問題になってくるとは思うのですが、
私は前情報でビジュアルを見た時は「割とアリなんじゃないかな」と思っていました。
仮面ライダーのビジュアルは、実際に動いてみないと評価できません。
仮面ライダーフォーゼは前情報のビジュアルでは大不評でしたが、
いざ動いてみるとカッコ良かったし、キャラも立ってたし、お話もとてもおもしろかった。
今回は完全にその逆パターンでした。動いてがっかり。

確かに、平成ライダーを見慣れてきた人たちには初期デザインは古臭くて野暮ったいものかもしれません。
しかし、「今も変わらず戦い続けている、これからも変わらず戦い続けていく、仮面ライダーは不死身だ」というなら、
当時のままの姿のほうが胸に迫るものがあったのではないだろうかと思いました。

■人が「ヒーロー」に求めるもの

そもそも、人は「ヒーロー」になぜ惹かれるのか。何を求めているのか。何を期待しているのか。
人ひとりが現実の中で自分の両手で守れるものなんてたかが知れています。
たとえば恋人を、たとえば家族を、たとえば我が子を。
もうちょっと規模を大きくするなら、自分の会社の社員を、自分の国の国民を。
しかしそれらは様々な障害に阻まれます。「気持ち」だけでは乗り越えられないのが現実です。

「ヒーロー」は、それを「正義感」という気持ちひとつでやってのけてしまうからかっこいいんだと思うんです。

やりたくても出来ないことを颯爽とやってのけて、
ボロボロになっても何度も立ち上がって、
絶対に折れない心を持って、
何の見返りも求めない。

私は、仮面ライダー1号のそういう背中が観たかった。

■この映画が突きつけた「仮面ライダー1号」像

仮面ライダー1号は、海外へ拠点を移したショッカーを追っておやっさんの孫を置いて飛び出していったにも関わらず、
自分の死期が迫っているとわかるやいなや、おやっさんの孫の元へ帰ってきました。
あっさり、戦いから退きました。

仮面ライダー1号、本郷猛は、仮面ライダーである前に結局ひとりの弱い人間に過ぎなかったということ。

これはこれで、確かにひとつの結論です。
仮面ライダーは元々「ダークヒーロー」ですから、重い過去や脆弱な側面があってもいい。
だけどそれを見せたいのなら、
「仮面ライダー1号」として生きてきた人生を踏まえての人間ドラマ描写に力を入れるべきだった。

観終わったあとにいちばん強く残ったのは、この感想でした。

「ああ、仮面ライダーも、結局弱い人間だったんだ。あの憧れた背中は、一体なんだったんだ」って。

そんな脱力感でいっぱいでした。

■2号は…?

仮面ライダー1号を語る上で、仮面ライダー2号の存在は外せません。
仮面ライダーブラックを語る上でシャドームーンの存在が欠かせないのと同じくらい、セットになっている感覚です。
この映画では、2号の存在に触れることは一切ありませんでした。
正直、現行のライダーを出すよりも、1号と2号にキャストを絞ったほうが、
ちゃんと「仮面ライダー1号」の映画になったんじゃないかと思います。




ここに書いた感想は、別に藤岡弘、さんへの悪意があってのことでもなく、
製作陣を叩きたい気持ちで書いたわけでもなく、
ただ、ひとりのヒーローヲタクとしての素直な「感想」です。

『仮面ライダー4号』を作った時のような本気を、どうかもう一度スクリーンで観たい。
ただ、切にそう願います。
  1. 2016/04/09(土) 01:06:51|
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